2008年4月の12件の記事
英語に積極的になる
現地では無論英語が話されていて、セッションでも英語、基調講演でも英語、ランチでも見知らぬ人と英語。飛び交う質問も英語。(しかも積極的に質問するのは決まってインド人でなまりが酷くて何言ってるのかひとつもわからん。人の事言えないが。)
旅行程度の会話なら片言の英語でもなんとかなるもんだが、技術的な思考内容をやりとりするのは今の僕の能力では厳しい。かなり距離を感じる。ハンズオンのようにコンソールやソースでやりとりする分には慣れていてかつ集約された言語だから英語に比べればわかるところはコンピューターのいいところだけど、やはり「雰囲気」とか「理由」とか「変遷」とか「冗談」とかいう「ノウハウ」に直結する事は生言語でないとスピーカーや聞き手も言わないし伝わらない。
一方で思考を巡らせるには日本語は有利だと思う。複雑で玉虫色になりかねない語彙を少ないバイト数で練り上げていく。それ自体は気持ちのいい事だし、反対により鬱屈していくらでも沈んでいくこともできる。と勝手に信じている。気持ち悪く見える人はこの上なく気持ちよさそうな顔をしているじゃないか。
また、英語と思考が直結しないと、聞く側では頭に内容が入っていかないし、話す側でも一々変換してアウトプットしてるのだとボトルネックになって言いたい事が詰まって何をいいたかったのか忘れてしまう。この直結パスを何本持てるかをテーマに遅ればせながら英語に積極的になっていこうと思う。
かの国はスケーラブルである
アメリカに行ってきて思ったことのまとめ。
色々な物の構造が単純であり、それらを積み上げて社会が形成されている。故にスケーラブル(横に延ばしていくのが得意で拡張性が容易)である。
例えば、建物・道や街・職業などが特に目についた。
まず建物。
高級住宅であろうが倉庫であろうが建物の構造が単純だった。HyattRegencyという一泊二万円強のそれなりと思われるホテルに泊まったが、細かい箇所で構造物の仕事の雑さが目についた。車で高級住宅街と思われるエリアにも迷い込んだが、正直建物そのものに価値があるようにはみえなかった。すみわけられた地域そのものの価値が高く評価されているようにみえた。
次に道や街。
道の名前や交差点の名前がユニーク(付近で唯一の名前)に命名されている。例えば日本では○○町××△△-□□というような住所で、××の範囲が明確でないため、追いにくい。一方のかの国では○○町××通り△△という表記が一般的で、××通りは付近では唯一であるが故その通りの△△という番地を辿る事が容易で非常に特定しやすい。町によって雰囲気は日本のそれとは大きく違い、画一的ではなく貧富の差が激しい。すみわけが進んでいる。
最後に職業。
ホテルの従業員や周辺のタクシードライバーなど、担当によって仕事の内容が分別されており、また担当している人種が偏っていて、生活水準によって働く内容が決まっているようにみえた。今回のカンファレンスにしても同様に、DBA(DataBaseAdministrator)とプログラマは担当が別れていた。
三つについて共通しているのは、部品自体の偏りを避けて、単純な構成物を使う事を徹底し、スケーラブルにして規模で要件をカバーしている所にある。また、機能によってすみわけられてモジュールごとの役割分担が明確になっている。
文化や歴史の積み重ねが薄いからそうなっているのか、意図的にそうさせているのか、そうしないと社会が成立しないからなのかどういう理由でそうなっているかわからないけれども、ひとつ言えることは、この社会の構造はコンピューター指向(強いてはシステム指向)にとてもマッチするであろうということだ。上から下まで全員が全てを知る必要がない。ある特定の絶大な権力を持った人間が明確にスピーディーに各モジュールに対し命令を下せばシステムが機能する。その総力を肥大化させてやれば強大な力が働く。
日本は資本主義ではなく、社会主義なんだって事を痛感させられたのであった。
映画「魔法にかけられて(Enchanted)」がヤバイ
先週の休日、妻と娘がウイルス性の嘔吐下痢にかかってしまい、待避した方がいいだろうと思って息子と出かけることにした。
何をするでもなく、困ったときの千葉ニュータウン。とりあえず値下がったハイオクをジョイフル本田で満タンにして、イオンの無印良品で服をまとめ買いし、31アイスクリームで息子と腹を満たし、俺たちリア充だなと休日を謳歌していたが、ネタが尽きたので映画でも観ることに。
コナンはまだ始まってなかったし、息子はこのあいだドラえもんは観たと言うので、特に観るものがないなぁと思いながら息子と観れる映画はこれしかなかった。
映画「魔法にかけられて(Enchanted)」

「アニメーション」から「実写」へ-2つの世界が出会う「究極のファンタジー」 2008年春-ディズニーはディズニーを超える!映画/魔法にかけられて 映画作品情報 - cinemacafe.netおとぎの国“アンダレーシア”に暮らす、心優しいプリンセス・ジゼル(エイミー・アダムス)。ある日、悪の魔女に騙されてはるか彼方の世界へと追放されてしまう。そこはなんと現代のニューヨーク! 大都会では浮きまくり、途方にくれたジゼルが出会ったのは、バツイチ・子持ちの弁護士・ロバート(パトリック・デンプシー)。“超”のつく現実的なロバートに、ジゼルは永遠の愛を伝えようとするのだが…。ジゼルの婚約者、エドワード王子(ジェームズ・マースデン)も彼女を救うべくやってきては、魔女も彼女を追ってきて、ニューヨークの街は大混乱。果たしてジゼルは魔女の呪いを解いておとぎの国に帰ることは出来るのか…?
つまらないかなと思って油断してたのだけど、ヤバかった。
ディズニー教団の方は行かれると高い確率で幸せに慣れると思う。緻密な構成と演出。アニメ→ニューヨーク→アニメで行ったり来たり。途中数曲、劇中で歌いながら踊ったり笑ったりするのだが、ディズニーランドにいる気になります。息子も何度も僕の方を観て「お父さん!この宗教はすごいね!」という顔をしていました。アメリカ人はこういうことやらせたら天下一品。スケジュールは守れないけど、後先の事は考えないけど、脳内で自暴自棄になるのは得意。いいね、それらに身をゆだねよう。
映画館の中だけであれば、ディズニーランドの中だけであれば、大丈夫大丈夫。宗教!宗教!。歌を歌って××や○○に掃除させたりしてオエッとなるけどそのへんはアメリカ人だから大丈夫!宗教!宗教!あれ、真実の愛とか最初言ってたのは…大丈夫!宗教!宗教!ラストのオチなら問題無し!宗教!宗教!
今回は吹き替え版を観たので、今週末は妻と娘も連れて字幕版をもう一回観てこよう。iTunesMusicStoreで早速サントラ買った。今朝は頭の中でその曲がぐるぐるまわっている。
F100fdで動くものを撮る
最近はF100fdを常用している。予想を裏切るように楽しい画がとれ、操れる。いつのまにコンデジはこんなに楽しめるようになっていたのか。
動くもので好きなものということで、新型京浜東北線車両を撮ってみる。マニュアル…といっても調節しているのはホワイトバランスとISO感度のみ。あとはフルオートだけど、そのあたりを操作するのもフジフィルムではマニュアルと呼ぶらしい。画角だけ調節してワンプッシュ。それだけで満足できる画が撮れる。
撮ってみた画をAdobeLightroomでいじる。上に引っ張っても下に引っ張っても自由に動く。広角な画角もあいまって、触れば触るほど面白い画になる。暗い部分を持ち上げると若干辛い感じの斑ノイズになるときがあるが、気にならない。いじればいじるだけの結果になるので、かえって撮って出しでアップできない。写真遊びの楽しいことよ。
明日の長時間メンテナンスに備えて、今日はラーメンを食った。いつもどおり「なりたけ」で味噌コーンタマゴ。F100fdで味噌コーンタマゴを撮ってみる。
妻に代理申請してもらっていたパスポートを受け取りに行く。事前申請しておけば船橋なら日曜日でも受け取れる。
ついでにF100fdの撮影テスト。
F100fdのためし撮り。どうも色が気に食わないのでアンティークライトでごまかす。
継続的に色々撮ってみようと思う。























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